りんご大好き三浪生の日常

国公立大理系志望三浪生の日々を綴ります。

隣の芝生

「隣の芝生は青く見える」なんて言いますが、私にも隣の芝生がそれはそれは青く見えていた時期がありました。

話は10歳頃まで遡ります。小学4年生といえば、ドッジボールの強い奴が天下を取っていた、運動出来る奴の黄金期。人より足を速く回す奴があちらこちらから持て囃され、グラウンドだけでなく屋内の廊下でさえ我が物顔で闊歩する姿が散見されました。

それから数年経って中学生になってしまえば、それ以降は、それまでの6年間とは裏腹に突然の頭脳戦が始まります。いきなり将来のことを意識させられ始めるのもこの頃です。いい高校に行っていい大学に行っていい企業に行く。私たちの人生には正解があるのです。

私は逆に、天下をとっていた小学生時代とは違い、中学生で遊び狂い、常に学年ドベ付近を彷徨っていました。定期テストの順位表こと、親から「次は頑張ってね。」を引き出す専用用紙をくしゃくしゃに破り捨て、今日も元気にCoCo壱でPSPです。すみません!福神漬けがなくなっちゃったんですけど!

ところで、奇しくもドッジボールが微妙な強さだった私は、意味なく大声を出しては周りを威圧していました。マイボ!マイボ!子供も大人も声の大きい奴がいつだって世界を制すのです。

 

市立小学校に通っていた当時の山茶花少年(便宜的に私の名前を「木下山茶花」とします。私はお花が好きなのです。サザンカが一等好きなのです。)は、友人とポケモンの話をしていた授業間の休み時間に、女子児童達が何やら回しあっているノートに目がとまりました。

彼女らの話に耳をそばだててみるとそのノートは交換ノートというらしい。家に持ち帰って読んでは書いて持ってくるらしい。賢い私は当時、何の意味があるの?と思いましたが、今でも厨二病な私です。その話を聞いた時の高揚感といったらありません。

何だか秘密の組織みたい!

私もすぐに友人らを集め、交換ノートを始めました。表紙には黄色い蛍光ペンででかでかと「秘密ノート」。

この黄色い蛍光ペンというのが重要なのです。

黄色い蛍光ペンで書くとパッと見、光の反射で何が書いてあるのか分からないのです。色々な色で試しました。トライアンドエラー

何が書いてあるか読ませたくないなら初めから何も書かなきゃいいんですけど。誰かに気づいてもらわなきゃ秘密も秘密ではありません。存在だけは知らせておく必要があるのです。これ見よがしに机の上に置いておくことも忘れてはいけません。

こうして秘密対策バッチリで始まった交換ノートですが、いかんせんこれといって書くことがありません。そもそも書くことありきではじまったものではないのですから当然と言えば当然です。

困った私は当時仲の良かったリコちゃんに何を書いてるの?と聞いたことがあります。少し大人びていたリコちゃんは、みんな好きな子のこととか書いてたりするかもね。と教えてくれました。その時は、ふーん。そんなもんか。と納得しましたが、乙女より乙女だった私にはあまりにもハードルが高すぎます。

なんだった?何書いてるって言ってた?と餌を待つ小鳥のような同級生にそのまま伝えることなど到底出来るはずもありません。

「教えてあげない。だって。女子って何でも秘密にしたがるよな。」

そう何とはなしについた私の悪態から交換ノートには女子への悪口などが書かれるようになりました。

〜〜の髪型が変。〜〜が今日掃除中に怒ってきた。

3周したところで飽きました。何も面白くありません。秘密組織とは程遠いその内容に3回女子の悪口を書いたところでようやく気が付きました。ショッカーがそんなものを仲間内でわいきゃい楽しんでいたら流石の小学生でも幻滅してしまいます。

そして、悪口というのも中々難しいのです。毎日髪型を変えてきたり、毎度毎度、怒ってくれたりしたらいいのですが、そんなに頻繁に髪型は変えてこないし、私たちも普通に怒られたくありません。やめようぜ。それから、私たちはそれまで通り、黄色の蛍光ペンをDSに持ち替え、家ではポケモンのレベリングに励みました。右に425歩下に836歩…

 

今にして思えば、青く見えていた隣の芝生を単純に、持ってこよう。真似しよう。と行動を起こしたのはその時が最後かもしれません。

その後逆張りになってしまった僕はそんな純粋な心も忘れ、ひたすら社会への憎悪を募らせていくことになります。プールに沈んでいた塩素玉を飴だと思い込んで飲み込んでいた山茶花少年にも、いずれ児童に飴玉だと偽って食べさせる日が訪れるのです。

 

今日みたいな小春日和には、数年前の春先、初めて女の子とご飯を食べに行った日を思い出します。何を話したらいいか分からず、ひたすら換気扇の不思議さ、牧場経営について語っていたあの時に「秘密ノート」があればなぁ。