りんご大好き三浪生の日常

国公立大理系志望三浪生の日々を綴ります。

遅刻魔と覗く相対論の世界

なくて七草という言葉がありますように、本人が気付いてるもの、気づいていないものに関わらず、人には沢山の癖があります。

垢すり、ゴマすり、貧乏ゆすり。

かくいう私にも悪癖がいくつか。

今回はそのうちの一つ、遅刻癖についてお話をするとともに、相対論の概論について、他の入門や概論の講義とはまた違った、変わった角度から触れていけたらと思います。

まず、私の遅刻癖は母親の子宮の中から始まります。私は、出産予定日からなんと10日も遅れてこの世に生誕致しました。ためにためたその産声はさぞ親族一同の涙を誘ったことでしょう。

可愛らしい男の子ですよ。助産師さんの言葉に母親がぼそりと返します。

性別はこの子が決めるものですから。

あのときは産まれたばかりの私でも流石に背筋が凍って泣き止んでしまいました。お母さん、そういうことじゃないから。

助産師さんの気まずそうな微笑みが脳裏にこべりついてしまって、今でもぺりぺりと剥がれたその残骸が夢の中で私を苦しめます。

次の遅刻の思い出では、小学生の分団登校まで歩をすすめます。小学校低学年だった当時、ほとんど毎朝分団の班長さんが私の家までインターホンを鳴らしにきてくださっていました。それから少し学年があがってこれば、全然私が家から出てこないことに痺れを切らして、予め集合時間の数分前にインターホンを鳴らしにきてくださる方もいらっしゃいました。

逆に私が高学年となり班長に就任してしまえば、班員の人数確認など班長らしい仕事は全て副班長に押しつけて、私が集合場所に集まったらそのまま出発といったなんとも自分勝手な形をとっていました。けれども、トップに立つもの、部下の反発などにはなびきません。部下を言いくるめることが出来て初めて上司というものです。

一度遅刻しないで欲しい。と注意された際、私の親や他の親御さんがいる前で、母親が朝ごはんを出すのが遅いからだと文句をつけたら、班員にも呆れられるわ、母親にも叱られるわで最悪でした。嘘と他人を傷つけることはいけませんね。

この遅刻癖は当然中学生、高校生になっても続きます。

私立の中学校に通っていた私は、休日に友人と遊ぶ際、地元ではなく、繁華街へと出かけることになります。今まで、家の前ですら集合時間に集まれていなかったやつの時間管理能力では、家から数十分もかかる繁華街での待ち合わせなど到底手に負えるはずもありません。

元気に遅刻します。

いつも私が遅刻しすぎるせいである日こんなことがありました。

私が珍しく集合時間の10分前に到着すると集合場所に誰もいないのです。おかしいと思った私が友人に連絡を取ると、遅れると思ってたから喫茶店入ってたわ。とひとこと。なんと優しく賢い友人でしょう。遅刻のされすぎで時間の有効活用がもはや中学生のそれではありませんでした。

自慢ではありませんが、私は学生の一大イベント、卒業式、入試にも遅刻したことがあります。

まずは高校の卒業式。

時間通りに起きていつも通り出発したはずなのに、当然のように遅刻しました。でもよく考えなくても、いつも遅刻してるんだから、いつも通りに準備をしていつも通りに家を出ればそりゃ当然遅刻するんですよね。お茶目さん。

急いで学校に着いたら講堂前にみんな集まっていてバカ焦りました。やばい。流石に先生に怒られる。そう思った私はダッシュでカバンを近くの部室に投げ捨て、さも初めからいましたよ。の顔で卒業式に参加してことなきを得ました。賢い可愛いエリーチカ。

そのとき学校へ向かう電車の中で、学生生活最後の言い訳は家の階段の造形に見惚れてて遅刻しましたかな。とか呑気なことをツイッターで呟いていましたがビビったのでついぞ使うことはありませんでした。誰か使っていいですよ。

次は入試の一つ目。

これは、確か一浪の時。

私は東京の私大を受けるために東京までの新幹線とホテルをセットの格安料金で予約していました。決して安くはない受験費用を少しでも抑えて親に迷惑をあまりかけないように。と考えてのことでした。しかしこれがいけなかった。特別料金のために新幹線の時間が固定だったのです。乗り遅れた場合次の電車に乗ることも出来ずチケットはただの紙屑と化します。当日、私はチケットをただの紙屑に錬金しました。新幹線に乗車する駅に行くまでの電車のなかでのことでした。やっちまった。絶対怒られる。そう思った僕はどうにかならないかと思案しましたが当時バイトをしていたわけでも、浪費癖のために貯金があるわけでもなく、新幹線代の支払い能力なぞ到底持ち合わせておりませんでした。それにホテルのチェックインの時間もあります。

ごめんなさい。新幹線逃しました。

そう母に連絡しました。

すると、お金を持たせて姉に駅まで行かせるから待ってなさい。と連絡があり、特に叱られることもなく、私はお金を持ってきてくれた姉と母に感謝をして、いくらかお金をドブに捨ててしまったものの、無事東京の私大を受けることが出来ました。普通に落ちました。センター利用以外私大全落ちでした。ふざけんじゃねぇよ!!!

もうひとつは、二浪目のセンター試験です。

二浪目は何から何まで舐め腐っていました。恐らく今までの人生で一番といっていいほど遊び狂っていました。センター1週間前に友人とクラブ処女を捨て、ついでにゲイとのディープキス処女も捨てました。センター3日前には社会の受験科目を変え、センター試験当日は入室完了時間と同時に試験部屋入りしました。前期も後期も落ちました。そして、その年の3月からこのブログが始まりました。

思い返してみると沢山の人に迷惑をかけては助けられて私は今まで生きてこれたのだなと実感します。

今まで迷惑をかけた皆さん本当に申し訳ありませんでした。

と自殺志願者の遺書冒頭のような一文で私の半生を締めくくりたいと思います。

また来世!