りんご大好き三浪生の日常

国公立大理系志望三浪生の日々を綴ります。

小学生

イヤホンを忘れてしまいました。

イヤホンはリリンの生み出した文化の極みだよ。

カヲルくんも顔を出します。

シューからはみ出てしまった、クリームのようなカヲルくんが、シュー生地に肘を乗せながらドヤ顔で語っています。

私は、病めるときも健やかなるときもイヤホンをしています。常に音楽かラジオを聴きながら行動していて、それはシュークリームを食べるときも同じです。最新のヒットソングを鼓膜に震わせながら、シューからはみでるカヲルくんを眺めています。

そんな私が今日イヤホンを忘れて外出してしまいました。

悲しいです。ですが、それも悪くありません。

『イヤホンを忘れたことでよかったことベスト10』

堂々の1位は、なんか小学生の頃に戻った気がする。です。

なんかわからんけど小学生の頃に戻った気がします。多分、中学生からはずっとイヤホンをつけながら通学したり、生活していたからだと考えられます。それがなんかいいです。夢や希望に満ち溢れていた小学生時代。学校のトイレの壁をほうきでかち割り、それを隠蔽しようと目撃者の女の子にキットカットを渡していた小学生時代。

しかし、考えてみれば今だって夢と希望に溢れています。今、左の鼻の鼻くそが気になって仕方ありません。右でした。

明日は明日の風が吹き、今日には今日の雨が降ります。

10年前の私は、今頃東大を出てエリートサラリーマンになると疑っていませんでした。おーい!当時の私〜!元気か〜!お前の履歴書ぐちゃぐちゃだぞ〜!

今から時給1000円でアルバイトです。

やるきげんき

みなさんこんにちは😃

みなさんの夏は始まっていますか?

わたしの夏は始まる前におわりを迎えそうです。

というか、甲子園に出ること自体夢見ていなかったわたしたちに夏はもうずっと訪れないのかもしれません。

ところでわたしは甲子園球児たちが許せません。

自分たちだけ頑張ってるえらいみたいな顔しやがって!卓球部だって鉄研だってがんばってんだろうが!

話は変わりますが、わたしも誰かに褒められたいです。

学校通ってえらいね。

部活行ってえらいね。

朝起きてえらいね。

ご飯食べてえらいね。

本読んでえらいね。

音楽聴いてえらいね。

そこで今日は頑張ってる世間のみなさんを褒める会をしたいと思います。

・働いてえらいね。

本当に働いている人を心から尊敬します。

みなさんみたいな人たちがいてくださるおかげで幸せはつくられ今日も猫が可愛いのです。

ところで、私はこの前猫カフェなるものへと行ってきました。

全然面白くありませんでした。

こっちはお金払ってるんだからもっとやる気出してもらわないとと何度思ったことでしょう。

ちゃんと社員教育してるの?

かわいいが存在価値のねこのかわいさがなくなってしまったら、一体この四足歩行哺乳類がここにいる意味とはなんなのでしょう。

それでは逆にねこは私に何を望んで、私の存在価値を何としているのでしょう。

私がねこの存在価値を定義するように、ねこも私の存在価値を定義することができるのです。

私とねことのこの関係こそが、まさに猫カフェであるといえるのでしょう。

いわき。

 

新年の目標

みなさんは新年の目標など設定されましたでしょうか。

私はしていません。

からします。していなかったのではありません。思い立ったら吉日の方です。

一番大きな目標は1週間後のことを考えるというものです。

残念ながら、今私が把握し管理できる範囲は6時間後までです。

つまり、朝ブラックコーヒーを飲んでいるときに想像できる私の想像力というのは、昼下がりに飲むカフェオレの甘さまでだということです。

今年はこれを大胆にも1週間後まで伸ばしてやろうというのです。

少しずつ、しかし、ときには大胆に。

これが人生を楽しくするスパイスだとどこかの偉い人も言っていました。偉い人が言っていたので正しいのでしょう。私はえらい権威主義者であるのです。

次は、毎日何か新しいことを学び、それをブログに綴ることです。

この新年に期待している感じ、自分の力を驕り高ぶっている感じ、4月の新入生、4月の浪人生、まさに新年の目標といった感じがしますね。

うんちはくろい。これだけのことでも書いていきます。人は歩いている実感が欲しい。とどこかの著名なアーティストも語っていました。僕は気に入った歌詞をメモするタチなのです。嘘です。そんな几帳面なことなど到底できっこありません。

地震がおきませんように。

5億年ボタン

みなさんは5億年ボタンというものをご存知ですか。

ひとたびボタンを押せば、何もない空間へと送られ、その空間で5億年過ごす代わりに100万円が得られるというものです。

しかし、その空間で過ごした記憶というのは5億年が経った時点で全て消えてなくなってしまいます。

つまり、ボタンを押した後気がつけば手元には100万円がポンと置かれている状況になっているわけです。夢のような光景です。私たちが常日頃望んでいる、何もせずとも大金を手に入れられる、そんな状況です。一体記憶がないというのはいかに素晴らしいことでしょうか。

また、その空間というのが一風変わっていて、様々な制約が存在します。

例えば、眠ることも死ぬこともできません。

それに、何かを食べることも出来なければ、物を持ち込むことも、かといって、何か遊び道具があるというわけでもないのです。娯楽は存在しません。

ただ、本当に何もない空間に5億年。

あなたは耐えられますか。

 

私は今日、単調作業の日雇いバイトを時給1200円で5時間こなしてきました。

まさに地獄でした。

時給に釣られて応募してみたものの、他のバイトでの10時間労働よりもキツかったです。

けれども、仕事をこなしてしまった今手元には6000円という学生にとっては比較的大きなお金がその対価としてしっかり握られています。

そして、単調作業という仕事の特性上なのか、ただ辛かったという思いが心のどこかにあるだけで、仕事中の記憶はないのです。

人間には、多かれ少なかれ必ずそれぞれに長所と短所というものが存在すると思います。

私に関して言えば、長所である現実逃避力の高さは同年代の人間のそれより群を抜いているのではないかと自負しています。嫌なことがあっても脳みそが優先的に強くその記憶を消そうと働きます。

したがって、今残っているこの気持ちも恐らく明日にでもなればすっかり忘れてしまっていることでしょう。

つまり、今ここに5億年ボタンと全く同じ状況が私の無能さ故に引き起こされているのです。

 

私はまたこのバイトに応募しちゃうのでしょうか。

 

シーン別謝罪言葉総覧

みなさん。今日も怒られていますか。

 

喜怒哀楽なんて言葉がありますが、もし本当に世界中の人間の感情がこの4つに操られているのだとしたら、一番厄介な感情をコントロールすることができたらそのとき私たちは、人間のその全てを操っていることになるとは思いませんか。

それでは、一番面倒な感情とはなんでしょう。

そう、それは愛。愛着、愛情、感謝感激雨霰。

怒です。自他ともに怒です。他の三つは四天王のうち最弱です。ほっておいても特に問題はありません。人間関係において一番面倒なのは怒です。

そもそも喜怒哀楽には表出してプラスになるものとマイナスになるものがあります。プラスになるものはどうにかして表出させるように、マイナスになるものはどうにか表出させないように、そういった動きが生きやすさには必要になってくるでしょう。

例えば、喜 楽 は表出してプラスになるものですが、表出していなかったところで別にどうでもありません。人間関係が亢進することはあれど後進することはありません。

逆に、怒 哀 は表出すると自分及び他人にマイナスな影響を与えます。人間関係が後進し始めます。特に怒は相手に強く影響を与えます。こっちはどうにかして、自分に関して言えば、表出しないよう、相手に関して言えば、うまく回避しなければなりません。

そこで答えは 怒 なのです。

既に怒という漢字が怒っているように見えます。

というわけで、今回はシーン別謝罪言葉を見ていきたいと思います。謝っとけば大抵なんとかなります。

 

1.上司

多分一番怒られる可能性が高そうなやつ。

しかしいかんせん私には上司がいないため、上司に怒られるということがありません。社会何もわかりません。ただし嫌味を言われたらすぐに言い返してもいいと思います。言い返せない場合は頭の中で考えてみましょう。考えるだけで少し楽になるかもしれません。そもそも、悪意のある嫌味というのは相手を侮辱するためだけの行為です。部下だからという理由だけであなたが人格否定を受ける道理はありません。あなたのお母さんが悲しみます。生きている上で最も優先すべきはあなたのお母さんを悲しませないことです。お母さんが言い返したら悲しむのなら嫌味を甘んじて受け入れましょう。お母さんを悲しませることは人生で一番の悪行です。あとはうさぎを飼いましょう。うさぎはあなたの全てを受け入れてくれます。受け入れてくれる存在があなたには必要です。うさぎでなくとも餌付けといったような簡単な作業でその全てを掌握できるモノを飼いましょう。あなたには何か全てを掌握できるのだという感覚を味わわせてくれる存在が必要です。

 

2.母親

あなたが悪いです。

 

3.恋人

愛です。受け入れましょう。

 

4.友人

殴りましょう。雨降って地固まります。

 

今日のラッキーカラーはエメラルドグリーン🤞

 

飽きました。すみません。

レポートに追われています。助けてください。

食べ物で遊んではいけないのにテロリストを糾弾してよいのは何故でしょうか。

自分がもしそのテロリストと同じ状況に陥ったとき、自分は彼らと同じ行動を起こさないと誓うことが出来ますでしょうか。

もし、彼らを糾弾しようとするならば彼らが元々暴力的で非人道的であることの説明をつけなければならないのではないのでしょうか。

けれどもそれというのは、まさしく、ユダヤ人が長きに渡って受けていた人種差別のそれと同じなのではないでしょうか。

私は今追い込まれています。

本当はユダヤ人だのテロリストだのなんてものはどうでもいいのです。

みんなアフリカの子どもです。

そんなことより来週の自分の方が大切です。

レポートが終わりません。助けて爆弾魔!